佐原市のおいたち

佐原市の起源は古く「浅原」(さわら)という名で古代からあったと伝えられています。
「佐原」という名称が文書に初めて登場したのは建保6年(1218年)です。

天正以前までは微々たる村でしたが、天正18年(1590年)の矢作城落城のために、城主国分氏の遺臣伊能氏の一族が帰農して開拓し居住したことに始まり、慶長から元禄年にかけて漸次耕地が拓けて発展してきたものです。

さらに、利根川水運 による江戸との交通が開けてからは、米やその他の商取引の集散地として繁栄して来ました。
明治元年に安房上総知県事に属し、明治2年には宮谷県となり、さらに明治4年に常陸の新治県に統合され、その後明治8年に千葉県に編入されました。

以来、県北と茨城県南部地域の交通・経済・文化の中心地として発展を続けました。
昭和26年3月に当時の佐原町・香取町・東大戸村・香西村の合併により市制を施行しました。

その後、昭和30年2月には、隣接の新島村・大倉村・津宮村・瑞穂村の4か村を編入合併して、戸数9,383戸・人口51,727人・面積120.48平方キロメートルを持つ佐原市が誕生しました。


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